けやきひろば春のビール祭り2013

keyaki2013spr今年も行って参りました。ビール好きの天国「けやきひろば春のビール祭り」へ。

出店も50社を超え、それに呼応するかのような大入り状態。さらにお隣のさいたまスーパーアリーナではケツメイシのコンサートが開催されるということで、一杯引っ掛けてから出陣という方々も多数見受けられました。

足の踏み場もないような会場にちょっとばかり気圧されながらも、久しぶりに会うブルワー(醸造職人)さん、この祭りのための特別なビールなど、本当に楽しい事ばかり。まさに、これぞビールの天国。時を忘れて楽しむことが出来ました。

一芸

社員の「一芸採用」枠なるものを設けた。

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉もある。「多芸は無芸」とも言われる。ここで、多芸を揶揄する表現をざっと挙げてみる。

「器用貧乏」「多弁能なし」「何でも来いに名人なし」「百芸は一芸の精(くわ)しきに如(し)かず」「螻蛄才(けらざい)」

思いつくだけでも意外とある。「石臼芸(いしうすげい)より茶臼芸(ちゃうすげい)」なんていうのもある。中途半端な多芸は、道を究めんとする意識社会においては特にそうなのか、さんざんな言われようである。

こう見ると世の中、歴史的にも一芸を究めることを評価する度合いが高いようだ。洋の東西を問わないのか、”Jack of all trades is master of none.”と揶揄したりする。

が、しかしである。

かの宮本武蔵の『五輪書』には、兵法を学ぶ心得として「諸芸にさは(わ)る所(広く諸芸の道に触る事)」と説かれている。一方で彼は「役にたゝぬ事をせざる事」とも記している。矛盾しているようだが、実は矛盾してはいない。

彼は、剣術を究めただけではない。晩年は、多くの趣味に遊んだ。書画、工芸をはじめ、茶道や能も嗜み、和歌を詠み座禅も組んだ。一芸を究めんとすれば、諸芸に触れざるを得ず、一芸の限界を見出すことで境地を悟ったのだろう。一芸を究めたからこそ、多芸の道が開けたと言える。

つまるところ、多芸である「器用貧乏人」が「器用で何が悪い」と開き直るのにも一理ある。さんざんに言われる筋合いはないのだ。「諸芸花多くして実すくなし」と言われようが、花の多い木の下で人は花見をするのである。

そこで、冷静に考えてみる。一芸が先か多芸が先か。

まず、多芸が先だと、芸の道が中途半端になりがちである。すべての芸で道を究めることは、常人には不可能だからだ。宮本武蔵とて、例外ではない。ならば、一芸を究める努力を先にした方がいいことになる。然るに、一芸から多芸に通じる道は開かれるのである。

一芸を極めることを通じて芸を学ぶ「道」(芸を習得する術、学び方、究め方)を自然と得とくした者は、ある意味強いのである。多芸への道も、照らされているからだ。

ならば、多芸先行者は不利なのだろうか。いや、そうとも言えない。逆も然り。多芸の中に共通点を見い出し、一芸に活かせればゴールへのショートカット(近道)となるはずだ。先ずは、”I’m just a Jack of all trades.”で開き直っていいのだ。大切なのは、その先である。多芸から何を生み出せるか、秀でた一芸を見い出せるかだ。

多芸でも一芸に秀で、一芸の中でも多芸の要素に溢れていれば、まさに最強なのだ。

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」である。「多芸は無芸」ではない。無芸となるなのは、諦めたときである。

spurious free dynamic range(スプリアス・フリー・ダイナミック・レンジ)

スペクトラム・アナライザやデジタイザに関する翻訳で、spurious free dynamic range(スプリアス・フリー・ダイナミック・レンジ))という言葉がよく出てくる(例えば、PXA Xシリーズ シグナル・アナライザ N9030Aのp1)。スプリアス・フリー・ダイナミック・レンジは、spurious free dynamic rangeの頭文字をとってSFDRと略されることもある。

スプリアスとは、周波数軸上の目的の信号成分(基本波)以外の不要な信号成分のことで、高調波スプリアス(基本波の高調波成分)と非高調波スプリアス(電源やCPUクロックに起因する基本波と整数比の関係にない成分や相互変調歪み成分)がある。

スプリアス・フリー・ダイナミック・レンジとは、周波数軸上の目的の信号成分(基本波)と最大のスプリアス成分との差をdBで表したもので、「スプリアスの影響を受けないダイナミック・レンジ」という意味である。

スプリアスについては、以下を参照。

㈱NF回路設計ブロックのホームページ > 技術情報 > 技術用語集スプリアス

スプリアス・フリー・ダイナミック・レンジについては、以下を参照。

SNRとSFDR