真っ暗なCharge3 (fitbit)

愛用しているFitbit Charge3の画面が真っ暗になってしまった。

ヘルプを参照して一旦放電させてリセットしたり、お休みモードがオンになっているかを確認しようとしたり(真っ暗なのでできなかった)、諸々試してみたが、変わらず。
時計として使用することはあまりないし、睡眠記録や運動の記録等記録計としての機能は果たしているようで、アプリと同期すれば記録したデータを見ることはできる。でも真っ暗な時計の形をした記録計を付けているのは何とももやもやした感じ。

これを買ったのは、2020年9月だから2年半継続して使用していることになる。Webで色々調べたところ、この現象を体験された方はたくさんいらっしゃるようで、その多くはApple Watchへ移行されていた。
Fitbit愛好者である友人のCharge4も同じ頃に買ってやはり今は真っ黒。それでもつけているといっている。

それってあり????

たった2年半でこういう記録計って動かなくなって、新しい機種を買わなくてはいけないものなのでしょうか。
非常に疑問です!!

Apple Watch程ではないけれど、決して安い値段ではない。購入価格12,380円。2年半使用したということは1月412円のサブスクリプション価格と考えろということか。
どうも納得できない。

私はモノを使い切ることに生き甲斐を感じている(これについてNoteで記事も書いている)ので、どうもこういう考え方は受け入れるのに抵抗がある。
機能している限りは使い続けるつもり。さてどこまで持つか。

地元とともに

昨日、3月末で閉店が決まっている都立大の中にあるフレンチレストラン、ルヴェソンヴェールへランチ付きのジャズコンサートに行ってきた。主催者の方は長年多摩でジャズコンサートを企画されてきた方ということで、こういう活動をずーっと続けてこられたというのは、本当に素晴らしいことだと思う。このレストランが閉まってしまうことで、今後活動はどうなるのだろう。またどこかで再開されるときは、のぞいてみたい。
なんといっても地元の活動や、地元のレストランは地元民が守るしかない!!!
(ちなみに私は着付けの先生のお誘いを受け、出かけたのだが、初めて一人で着付けをして出かけたので、ドキドキだった。なんとか最後まで崩れずに終ってほっと….)

私は会社と同じ郵便番号を持つ地域に住んでいるのだが、ここに越してきてからもう30年になる。
引っ越してきた年に南大沢と橋本間の京王線が繋がり、便利になった。その頃、駅前には三越(柚木三越)があった!ダイエーもあった。アウトレットはなかった。

娘は保育園、小学校、中学校と地元の学校に通い、本当に地域の方にはお世話になった。
珍しいことなのかもしれないが、うちの公団では棟ごとに階段が2つあり、A階段、B階段と呼ぶのだが、A階段の10戸のうち、7戸は当時と同じ人が住んでいる。子供が大きくなって出て行ったり、亡くなる方もいたりする中、ずーっと同じメンバーで年2回草取りをし、花の植え替えを行い、階段掃除をしている。

団地内だけではなく、娘は犬の散歩をしているご近所さんにも御世話になった。仕事があり、私が送れなかったバレエのお稽古は、犬の散歩をする方と一緒に駅まで行ったり、帰って来たり。犬の方が娘を見ると寄ってくるのだそうだ。
その犬たちももう老化が進み、歩けないくらい衰弱している老犬を大事そうに抱っこして散歩させている方を見て、娘が「あーカエサル君だ!」という。大きな犬だったのだが、今はやせて小さくなっている。
そうかと思えば「あートッピーだー」と言って寄って行ったら連れていたおばさまが怪訝そうな顔をしていて、娘が名乗ると「えーーーーーーーーー!こんなにおっきくなったの???あー、この子、トッピー2号なのよ。」と言う。トッピー1号はもういないのだそうだ。
ジョンというポメラニアンは、いつも年配のおばさまとゆっくりゆっくり散歩をしていた。ある日抱っこされているジョンを見て娘と「あれ、ジョン、ジョンだよね?」というと抱いていた方が「あーそうです。いつもお世話になっています」と返された。おばさまはどうされたのかね、と案じていたが、最近ではもうジョンも見かけなくなってしまった。
いや、ワンちゃんの話をしているのではない。
地元の方にお世話になったという話だ。

コミュニティーがなくなったと言われてから久しいが、この地域にはまだそのかけらが残っているように思う。

学校でも地域を、子供をずっと支えてくださる方がいる。学校でずっと委員をしてくださっているKさん、Oさん、青少対のTさん、朝、学校の門の前に立ち子供たちに挨拶をして受け入れてくださるKさん、本当にお世話になりました。御世話になるばっかりでなかなかお返しができないけれど、いつか子供たちが自身の家庭を連れて戻って来てくれる街にしたいと思う皆様の願いに心から共感します。

小さな貢献。
先日、会社でプリンターを買い替えた際、大量に出た印刷紙を地元の中学にもらっていただいた。
昔はDTPした後に印刷して確認をし、そのうえで納品していたが、最近はPDFとはいってもWeb上に載せるものばかり。会社でもきちんとしたプリンターは不要になった。また、最近はコンテンツ自体がインタラクティブなものや動的なものが多く、従業員もPC上でチェックすることに慣れていて、印刷することもなくなった。家庭用のプリンターに買い替えて1か月ほど経つが特に支障はない。時代の変化。

また、地元の企業として何かできることがあればお手伝いさせていただきたいと思います。

帰省

先月、週末を利用し父の三回忌で帰省した。出発日と帰京日を含め3日のスケジュール。羽田から直行便で片道3時間半を要する。

空港到着後、空港で迎えてくれた姉夫婦と共に、父の遺骨が安置されているお寺へ直行。そこで母や兄夫婦と再会。焼香を済ませ母の居宅へ。一息入れて兄夫婦の家へ。私が大好きな姉お手製の出汁の効いた汁物をご馳走になり、すぐに何名かの恩師の家を訪問。涙の再会。

そうこうしているうちに夕暮れに。
いざ、小学校時代の同級会へ。
(幼なじみ、そして恩師と語り尽くせぬ楽しい時間。。。)

翌朝は朝早くから多くの同窓生(友)の自宅を訪問。

帰省の際は、父の葬儀に参列してくれた同窓生たち全員の自宅を一軒一軒回ろうと決めていた。「返礼は挨拶状で済んでいるでしょ」と言われそうだが、直接お会いして礼を述べずにはいられなかった。父と直接に関わりのないはずの同窓生たちが数多く葬儀に来てくれていた。記帳名簿に記載された友の住所を頼りに一軒一軒回った。

直接顔をみて「ありがとうございました」と心を込めてお礼を申し上げたかった。突然の訪問であったため不在の友もいたが、在宅の同窓生たちは玄関ドアを開けるなり飛びついてきた。ハグしながらの再会。

「ありがとうございました」と頭を下げる私の挨拶をさえぎるかのように、「昌順、来てくれてありがとう。友だちの親の葬儀にかけつけるのは当然さ」の声に涙があふれ、友の顔を見るのがやっとだった。

午後は三回忌の法要を挙行。夜はいくつかの夕食会。翌朝は挨拶回りを終えて母の居宅と姉夫婦の家へ。その後、甥っ子たちの家族も含め皆さん総出の空港でのお見送りを受けて機上へ。

飛行機の窓外に広がる島が遠くになるにつれ、島の優しさに応えられない自身の未熟さと愚かさに嘆き、空に向かってわびた。そして何より、あらためて「おとう」様の偉大さと母の愛に気付かされた帰省となった。