謎….なフランスの関税

毎年、フランスにいる友人にクリスマスプレゼントで鳩サブレを送っているが、今年初めて、税金15ユーロを払うよう要求されたと連絡があった。運悪く、同じ時期に彼女の会社からキーボードとPCが中国から届く予定だったため、それなら会社に転送されるだろうと受け取りを拒否してしまったが、あとになって「もしかして?」と思い、連絡してきたのだ。追跡してみると案の定、彼女が拒否したのは鳩サブレだった。彼女の家に届いたのが12月8日。連絡がきたのが10日。既に小包は戻り途中。結局、フランスまで往復した鳩サブレは特に壊れることもなくそのまま22日に戻ってきた。
鳩君たち、長旅だったねー。

去年までは問題なかったのに、と調べたら、昨年の7月にフランスで税改正があったらしい。以前は輸送業者が税関への電子申告を義務付けられていなかったので申告しないケースも多々あったが、7月からは申告が義務付けられたので規則が厳密に守られるようになった。ということらしい。

基本ルールは、
・個人から個人への贈り物は、品物の価値が45ユーロ以下であればTVA(付加価値税)も関税もかからない。
・45ユーロ~150ユーロのものは品物の価格に対してTVAが原則20%(品目により低税率あり)かかる。
・150ユーロを超える場合、品物の価格+輸送料+保険料の合計に対してTVAと関税(「商品」の場合と同様)がかかる。
(参考サイト:https://ovninavi.com)

最初に送った鳩サブレは5,400円。140円換算で38ユーロ。非課税枠じゃないのー?

100歩ゆずって、これが45ユーロ~150ユーロ枠に入るとしよう。最低の45ユーロでも20%は9ユーロじゃん!

どうしても今年届けたかったので、13日に再度、1サイズ小さい缶を発送したところ、10日後の23日に無事届いたと連絡があり、今回は、税金の支払い請求はなかったとのこと!

今回は3,450円。24Euro。

だよね!

人間工学周辺機器使ってみた

コピペをしすぎて、小指が痛くなり、また、マウスの使い過ぎで右手の筋肉がぴくぴくする。
もう何年もHP製のキーボードを使っている。このキーボードはデザインもいいし、タッチも快適なのだが、押すのに割と力が必要で、特に年齢とともにだんだん小指の筋肉が弱くなり、TradosでTMからの取得の際に使うCtrl+Tの「t」が翻訳単位内に残ったり、保存の際の「s」が残ったりというミスがめだってきた。(エンジニアに相談したら、「小指鍛えれば?」と言われた。そっちー??!)

緩和のため何かできることはないかと、キーボードとマウスパッドを変えてみた。
マウスパッドは肘まで置けるようになっていて、肘が浮くことにより、こすれがなくなる。なかなか。

キーボードは前から使ってみたかった人間工学を使ったデザイン、サンワサプライのエルゴノミクスキーボード SKB-ERG5BKを買ってみた。Amazonでの評価は3.6。
特長はキーボードが真ん中で2つに分かれ、トラックボールがついている。懐かしいなあ。キーの間隔も狭いらしい。

確かに小指の負荷は減ったが、いくつかの不都合あり。
1.Shiftキーが小さい。手を開いた状態でキーボードに手を置けるのはいいのだが、Shiftキーを押そうとすると隣のキーを押してしまう。
2.Deleteキーが右上にあるが、ちょっと快適には届かない。その下のHomeを押してしまう。キーの割り当てを変える必要あり。
3.Bが2つに分かれたキーの右側にない。Bは左手で押す仕様らしい。
4.Backキーの代わりにHomeキーを押してしまう。
テンキーがないのは特に気にならないが、上記4点はなかなかハードルが高く、今でもものすごくたくさんタイピングしなくてはいけないときは以前のHP製に戻ってしまう。
もう少し使ってみよう。

ありがとう。

父、眠る!
父ちゃん、もう力つきてしまいました。
ただ静かに穏やかな顔して眠っています。
父ちゃん、本当にありがとう!

作年1月某日に届いた姉からのメール。覚悟はしていた。帰心矢の如しだが、駆けつけることが叶わなかった。新型コロナ禍の真っ只中、島には戻れなかった。いや、無理矢理にでも戻ることはできたはずだった。

明日のない世界へ旅立つ父を「おとう!」と呼びかけて見送ることができなかった。きっと「おとう」は病に伏せながらも、”順は必ず顔を見せてくれる”と信じていたに違いなかった。

かつてわたし(順)は、東西冷戦時代の諜報戦の現場に身を晒していたことがあった。その影響で、一線を退いてからも何年間かは身内との接触を完全に封じざるを得なかった。わたし自身を含め、身内へ深刻な危害の及ぶ恐れが多分にあったからだ。それだけは、人生を賭しても防がなければならない。

身内のほとんどが、連絡のつかないわたしの存命をあきらめ、失踪宣告の手続きをすべきとの判断をしていたようだった。その中にあっても「おとう」だけは、”順は必ず生きている””生きて必ず帰ってくる”と頑なに譲らなかったという。

一昨年の春、父は倒れ入院した。食べることの難しくなった父は胃瘻カテーテルを装着した。しかし、病床にありながらも胃ろうを抜去しようとするために、身体拘束帯(ミトン)を着けさせられたようだった。それを聞いたときには、恐怖のような胸の痛みを覚えた。冷戦時代の現場で何度か死を覚悟する局面に陥ったときでさえ、感傷的になることはあっても恐怖を感じることはなかった。

恐怖の中にあっても、穏やかな顔をして眠っていたという父。やはりわたしの「おとう」様だ、と1年を経て改めて、父の人間としての尊厳と偉大さを感じている。物心ついたときからの父の教示は、そこに耐え難き理不尽な厳格さはあったものの、人生を賭してでも守るべき道を示すものだった。