美味しい紅茶のおはなし

紅茶よりコーヒーの方が好きなのだが、それでも美味しく淹れた紅茶を飲むとそれはそれでいいなあと思う。

最近、イギリス人の紅茶離れが進んでいるという記事を読んだ。若者にはコーヒーの方が人気があるらしい。残念だ。

イギリス小説には紅茶に関する記述がよく出てくる。

アーサー・ヘイリー(これはアメリカ小説だけど)の「Airport」(邦題:大空港)では、イギリス人のキャビンアテンダントに正しい紅茶の淹れ方を習ったパイロットが彼女にお茶を用意するシーンがある。「紅茶の葉がお湯に触れるその瞬間までお湯は沸騰していなければいけない」のだそうだ。この言葉はいつも紅茶を入れるたび、私に響く。

アガサ・クリスティ作品にも紅茶に関する記述がよく出てくる。

「Pocket full of Ryes 」(邦題:ポケットにライ麦を)ではタイピストたちが順番に皆に紅茶を淹れるのだが、新人のタイピストが淹れた紅茶を飲んだ古参のタイピストが叱責する。
「またお湯がちゃんと湧いていませんよ!」
「すみません!今度は大丈夫と思ったのですが….」
沸騰していないお湯で入れた紅茶は飲むに堪えないのだ。解雇に値するほど。

「The Hollow」(邦題:ホロー荘の殺人)ではエルキュール・ポワロがジャップ警視に紅茶をふるまうシーンがある。生粋のイギリス人のジャップ警視は憂鬱である。ポワロの淹れた紅茶は薄くてまずいのだ。
「まったく外国人はお茶の入れ方が分かっていない。薄い。おまけにこれは中国の紅茶だ。」(インドのセイロンあたりがいいのかな)
それなのにポワロは「濃すぎませんか?お湯がありますよ」と聞く。

「マリーゴールドホテル 2」ではイギリスの名女優マギー・スミス演じるホテルの経営者がアメリカ人の不動産業者とやり合うシーンがある。ティーバックで入れた紅茶を出されたマギー・スミスは「こんなxxxのような紅茶は飲めない。熱いお湯で紅茶の茶葉をポットの中で躍らせなくてはいけないのよ!熱々のお湯もってこい!」とたんかをきる。(お湯が運ばれる)

最近、読んだアンソニーホロビッツの「Moonflower Murder」(邦題:ヨルガオ殺人事件)では、殺人の被害者の親戚を訪れたスーザンが、その家のホストに「Builer’s or Peppermint?」と聞かれる。Builder’s(ビルダーズティー)とは、建設現場で働く労働者(Builders)が休憩時間に好んで飲んだミルクと砂糖が入った濃い紅茶である(ちなみにスーザンはBuilder’sを選んでいた)。これには懐かしい想い出がある。

イギリスのバースに留学していた時、毎日11時にイレブンス(11時に紅茶を飲む休憩)があり、アツアツのミルクティー(Builder’sだった)とビスケットが生徒と教師に提供された。毎日1時間目の授業が終わって廊下に出るとマグカップがずらーっと並べられていた。カップも中に入った紅茶も熱々ですぐには飲めないほどだった。どうやってこのタイミングを狙ってこれだけの量のミルクティーが用意できるのだろうといつも感心していた。多分大量の沸騰したお湯を用意し、ポットとカップを熱々に温め、ミルクもしっかり温め、ギリギリのタイミングで入れるのだろう。お砂糖がたっぷり入っていて、疲れた頭によく染みた。確かにこの頃は街にコーヒーを出す店があまりなくて、コーヒーを飲まないと頭が痛くなる私はわざわざ駅まで行って学校帰りに濃いコーヒーを飲んでいた。その代わり紅茶はどこで飲んでも確実に美味しかった。

こういう伝統が少しずつ薄れていくのは寂しい。

日本も昔はティードリンカーだったが、今はご飯の後に熱いお番茶を飲む家庭は少なくなったのではないだろうか。
うちは父がどんなに暑い日でもご飯の後に熱いほうじ茶を欲しがるので、それが習慣になっている。熱いお茶は食事のときに摂った塩分や油分を流して口の中をさっぱりさせてくれる。
大学時代にバイト先の店長がバイトを全員呼んでお鍋をふるまってくれたことがある。その時にいた男子が「ぼく、田舎者だから食事の最後に熱い番茶がないと終わった気がしないんですよ」と言っていた。そっか、田舎がそうなのか、と「あーうちもそう」と共感したことを覚えている。確かに京都では熱々の番茶よりも、熱冷ましをしたお湯で入れた甘ーく感じる緑茶がよく出たように思う。田舎者でもいい。あつーい番茶を食事の後にじっくり飲みたい。

日本橋クルーズ

2018年公開の阿部寛主演の映画「祈りの幕が下りる時」を見て、映画に出てくる橋たちを船でくぐりたいなあということで、日本橋クルーズに行ってきた。コースは「お江戸東京クルーズ45分」。
実は弊社、株式会社デプロの発祥は日本橋!

日本橋は銀座とも丸の内とも違う、日本らしさをそこここに感じる街。なんか、惹かれるのよね~
うちは昔からたいめいけんが好きで、家族イベントがあるとたいめいけんの小皿料理でお祝いをする。娘の20歳の誕生日もここで祝った。今は建て替えのため仮店舗で営業中で、クルーズでは右に前の店舗が改装中、左に仮店舗が営業中なのが見えておもしろかった。

日本橋はお江戸の中心地。東京オリンピックの選手を運ぶため、突貫工事で、橋の上に高速道路をかけちゃった。何とも無粋なことをしてしまい、それを今はずそうとして工事が進んでいる。
(工事の様子はhttps://www.shutoko.jp/ss/nihonbashi-tikaka/で)
完全に外れるのは今から17年後らしい。
解体の一部の様子はNHKの番組「解体キングダム」https://www.nhk.jp/p/ts/JM3P4YLR7K/episode/te/692MJ6YJQQ/でも取り上げられていたが、何ともすさまじい規模。

ガイドの方は、「そのうちにここに高速道路がかかっていたんですよ。という日が来るから今の風景を楽しんでください、」とおっしゃっていて、「なるほどなあ」と妙に納得してしまった。いま、この暑さでは高速道路がいい日よけになって快適。
驚いたのは、この首都高速に沿った線が、徳川家康の頃は海岸線だったとのこと。へーという声が上がる。

さて船は「祈りの幕が下りる時」に出てきた常盤橋、湊橋、鎧橋、江戸橋などをくぐって隅田川へ。土曜日には4年ぶりの隅田川の花火大会が開催され、多くの人が華麗な花火を楽しんでおられましたね~。
隅田川にかかる清洲橋はドイツのライン川にかかるドイツァー橋をモデルに作られたのこと。この羽が開いたような橋の真ん中にスカイツリーがすっぽり入る。このスポットはこの船からしか撮れないんですよ~とガイドの方が自慢げに。なんとか頑張って撮ったけどちょっとずれたなあ。

ここでUターンし日本橋川に戻る。
いやいや楽しかったね。
船長さんはサービス精神旺盛で、日本橋をバックに一組ずつ写真を撮ってくださる。私達もぱちり!

下船後、〆に舩橋屋で宇治抹茶白玉を食べて、大満足の1日でした。

次はブラタモリでも紹介された神田川クルーズに行きたいなあ。

コンポスト導入!

2014年から愛用していた生ごみ処理機が壊れ、代替え機種を探したが、同機種は価格が倍になり(!)、電気を使用する処理機はゼロカーボンに向かう社会の敵とばかりに市の補助から外され、もうこうなったらコンポストに移行するしかないと、覚悟を決めて「LFCコンポスト」というバック型のコンポストを導入した。届いたバックと基材はこちら。

初期費用5,300円に対し、市の補助が半額あるとのこと。また年4回まで請求できる。

早速調理中に出たごみを小さくカットしてバットにため、基材をいれたバックに混ぜていく。一家庭の平均的な生ごみは300~400グラムとのことだが、実際に測ってみると、ちょうど400グラム。でも普通の日でこれだから、すいかを食べたり、夏ミカンの皮をむいたり、蕪や大根の葉っぱが大量にあったりすると増えてしまうなあと思いつつ。

コンポストはたんぱく質の処理が得意なので、魚をよく食べるわが家としては、においがでない状態で処分というか再利用できるのは便利。バックの底が暖かくなっているのは発酵しているということなのだろう。先日静岡に行った娘が買ってきた干物を食べた後の頭、骨、皮もどんどん入れる。「焦げとか大丈夫ですか?」とLINEの無料相談で聞いてみたら、すぐに返事が来て「焦げも骨もあたまもぜーんぶ入れてください!」とのこと。サポート体制が整っている。よし!と全部入れて混ぜる、混ぜる、混ぜる。生ごみ処理機の場合は単に乾燥させるだけなので、容量はかなり減るとはいえ、ごみは出るのだが、コンポストの場合、ごみが出ない。

ただ、唯一心配なのは「虫」。うちは家族全員、虫が苦手で、もしコンポストに虫がでたら….と思うだけでぶるぶる。
このLFCコンポストには虫の侵入を防ぐ特殊ファスナーがついていて、ファスナーが閉まっている限り、安全らしいが、毎日生ごみを入れるとき開けますよね。このときが危険。虫が怖くて、ベランダから家の中に持って入って混ぜている。虫が出てもほとんどは無害なアブの幼虫で優秀な消化者なので、気にせず混ぜてしまってください、とホームページには書いてあるが、できればお目にかかりたくない。

2か月毎日投入後、3週間寝かしたら堆肥になる。この堆肥は土に1:2の割合で混ぜるとプランターのいい土になる。土がそれほど要らない場合は、回収プログラムに載せて引き取ってもらえるということだ。その土で育てた野菜を購入できるシステムもある。都会でもここまでできるんだね。

ゼロウェイストめざして頑張ります!