文化(言葉)保護

長年翻訳に携わっていると、ある種のクセがついてしまう。

例えば、
・街かどで目にする英語や日本語を完璧に翻訳できるか自分の力を自分で試してしまう、
・電車内の広告をマーケティングの視点から評価し、キャッチコピーなどを別の表現に置き換えたりする、
・レストランでオーダーすることを忘れ、メニュー表を校正する、
・セミナーなどでもらった資料の誤記などを探しまくる、

といったようなことを無意識のうちにやっているのである。職業病とでも言うのだろうか。

クセといったものは恐ろしほどに時間を費やさせるもので、ネットはその浪費の対象となっている。取り分け、海外の世界的なグローバル企業のサイトは、わたしにとっては格好の材料である。英語などのソース言語以外は、ほとんどが翻訳文だからだ。

翻訳された日本語サイトを読むと、その劣悪さに愕然とすることが増えてきた。日本語になっていれば、それでよしとする傾向が広まってきているように感じられる。意味が通じればまだしも、実際には意味不明な文章が多い。

職業病は、そんな文章に出会うとたちまち発症してしまう。直ぐさま英語サイトを確認し、翻訳文が内容的に正しいかどうかを評価することになる。そんな中、懸念されることが増えてきた。日本語サイトの文章が、誤訳のみならず文章そのものが質的にも許容される最低レベルを下回っているケースが目立ってきている。内容によっては、法的争議を起こされかねないクリティカルな間違いもあったりする。グローバル企業は、グローバライズ(ローカライズ)製品の品質低下が命取りになる恐れがあることを、認識しておく必要があるはずだ。思わぬところに、落とし穴があるやも知れぬ。

スピードの時代である。量産も求められる。すべてがコストと直結してくる。他社よりも一刻も早く、そして安く市場にローカライズ製品を投入しなければ遅れをとってしまう時代である。その焦りが品質低下を招き、それが起因してユーザー離れが起こり、業績悪化といった悪循環を自らで生成しているように思えて仕方がない。

コストを抑え、超スピード感をもって、信頼の得られる製品を市場に投入する術はある。先ずは、企業としてのビジョンの中で、例えば次のようなアピールをしたらどうだろうか。

「弊社は自然環境保護への取り組みと同様に、言葉(文化)の保護にも努めています」と。

真摯に取り組めば、きっと市場の信頼度も増すだろう。そういった姿勢も、企業の社会的責任の一つだと思うのだが、わたしの独りよがりだろうか。そこに、超スピード感を付加し、その取り組みを実現させるのがローカライザーの腕の見せどころとも言える。

「一語懸命」を旨として、市場の評価をダイレクトに受けながらお客様支援に取り組んでいるローカライザーとして、寝ても覚めても何処にいてもクセが出てしまうローカライザーとして、日々そう思うのである。