1本のボールペン

先日のテレビ番組で、南アフリカでボールペン販売の営業をしている一人の日本人駐在員を紹介していた。ボールペン1本30円。現地の物価からすれば極めて高価だが、「最後の一滴まで使える」日本製ボールペンの良さをわかってもらおうと、現地の人々にひたすらに売り込んでいた。

貧しい地域の学校の子どもたちが持っている筆記具は、ボールペン1本だけ。「なくしたら お父さんに怒られるから絶対なくせない」と答えていた。日本では想像できないだろうが、ボールペン1本が奇跡を生むこともある。

今は30円のボールペン。「10年後に、彼らが300円のペンを持っていてくれればいい」と将来を見つめ目を輝かせる日本人営業マンの姿に、かつてアフリカに住んでいたころに仲良しになった一人の少年を思い出した。

少年の名はアジマン。その少年との出会いは街中だった。赴任して間もない週末、街中の観察に出かけた。通りを歩いていると、「オブロニ(白人さん=わたしのこと)、アイベグユー(お願い、何かちょうだい)」と背後から消え入るような小さな声が聞こえてきた。その声の主がアジマン少年だった。

その出会いから離任までの2年間、街中に出かけるたびに声を掛け合うようになった。貧しくて学校に通えないアジアン少年は、いつも通りで物乞いをしていた。

こんなことがあった。「アジマン、学校に行かなきゃダメだよ」と話しかけると、「行きたいさ!」と、わたしを睨みつけた。「行けばいいじゃん!」軽く答えるわたしに、「ボールペンもノートも買えないから行けないんだ!」と悔しそうに言い放った。

離任が迫ったある日、お別れのプレゼントを持ってアジマン少年の家を訪ねた。家と言っても、拾ってきた板を壁にし、その上に錆びたトタン板を乗せただけの囲いである。その中で少年は、汚れて色の判別もつかない毛布にくるまっていた。「オブロニ、またマラリアに…」。少年は熱でぐったりしていた。わたしは急いでマラリアの薬などを取りに戻った。

少年に薬と栄養剤を飲ませ、「もうすぐ離任だ。もう会えないなっ」と別れぎわにプレゼントを入れた紙袋を手渡した。「学校へ行くんだぞ!学校へ」と、会うたびに口癖のように言い続けてきた言葉を繰り返した。訴えるような眼差しの少年が、紙袋の中身を覗き込むのと同時に少年の家を後にした。

離任の日が来た。車で空港入り口に差しかかった時、道端に裸足で立つアジマン少年の姿が目に入った。家から空港まで歩いて来るには相当な時間がかかったはずだ。車を降りると少年が駆け寄ってきた。少年の手には、プレゼントした1本のボールペンと1冊のノートが握られていた。

「歩いてきたのか。元気になったか」。わたしの問いかけに黙ったまま答えない。「学校へ行けよ。あきらめるな」と言い残して車に乗り込むと、少年はプレゼントを握りしめた両手を車の窓にかざした。

「プレゼント、ありがとう。僕、学校へ行くよ。約束する。ありがとう”ショーン”。また必ず来てね」。初対面から、わたしをオブロニとしか呼ばなかった少年が、初めてわたしの名前を呼んだ。

1本のボールペン。最後の1滴まで使えば、10年後の、20年後の将来まで描きだすに違いない。

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