Resilience(レジリエンス)

最近、Resilience(レジリエンス)という言葉をよく目にする。耳にする。IT関連のドキュメントでも頻繁に出てくるようになった。

ローカライザーとしては、その言葉が使われている文脈を読み取ってから、どう訳すかを判断している。

一般には、回復力、復元力、適応力、弾力性、危機耐性などと訳されるが、どれもピンとこない場合は、敢えて言葉を補うこともある。

単に、カタカナ表記にしてしまえばそれまでだが、レジリエンスの意味を理解していない読者にとっては、それでは意味不明のままとなってしまう。

このレジリエンスという概念、新しい言葉のようであって、実は昔から日本人に、いや人間に備わっていたものである。単にこれまで、その研究が十分になされていなかっただけのような気がする。

「想定外」のことが起き、ある種のシステム機能が失われたとしても、そこから復旧、回復、そして成長していくのが人間のレジリエンスでもある。

災害や危機に耐えるだけでは、レジリエンスとは呼べない。風雪に耐えることがレジリエンスではない。我慢が回復力の強さを示すものでもない。苦難に耐えた後に、人間は壊れてしまうことが多い。

レジリエンスとは、生きたい、生き抜きたいという意志、命を大切にする心だと思う。

昔、読んだ本の中に、レジリエンスは、「I have」、「I am」、「I can」で構成されると書かれてあった。敢えて訳すまでもなく、わかりやすい説明である。これらをより良く高めることがレジリエンスを強化することに繋がっていくのだろう。求められているのは、レジリエンスを高めるための環境作りである。未来に対して常に前向きに肯定的に生きられるか。

レジリエンスの強い社会を築いていくこと、レジリエンス意識を高く持つことが強く叫ばれる時代へとようやく歩み出しているような、そんなことを敢えて思わせるニュースが増えたような気がする。

※竹の子の写真があったのでなんとなく載せてみた。”竹の子はぐんぐん育って、弾力のある大人の竹となるのだろうな~”

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