「人生に花束」

社員の一人がオーケストラの団員として演奏会に出た。彼のパートが引き立つ演奏曲目だった。

相当な練習を重ねてきたのであろうことは察せられたが、それ以上に、舞台の彼は凛々しく堂々として輝いていた。仕事に対する向き合い方が真面目で真摯な彼。演奏に聞き入りながら、澄んでぶれのない美しい音色に人柄が出ているように感じられた。演奏は、まさに”ブラヴォー!”だった。

精一杯の拍手を送りながら、若かりし頃、ウィーンで見かけた老婦人のことを思い出していた。2012年10月1日のブログでも触れたが、街かどでテナーサックスを吹いていた老婦人のことだ。生きるとは、”そういうこと”なのだろうと思わせてくれた、あの老婦人である。

小さな花束であっても、自分自身からであっても、「人生に花束」を!そんなことを思った。

仕事でも何においても、”生きる”を実践していれば、きっと花束が届くだろう。
そう、きっとGod bless you!

チャレンジしてみませんか。

問:翻訳者の募集を開始したとのことですが?

CEO:弊社では「翻訳・校正・ファイル検証・プロジェクト品質管理を担当していただけるスタッフ」の募集を開始しました。プロジェクトによって、翻訳(ローカライズ)という業務には、エンジニアリング的な要素が多分に含まれますが、一言で言えば社内翻訳者を求めているということです。翻訳者といっても、いわゆる文芸翻訳者ではありません。ITに関わる技術的な知識を有している翻訳者だとお考えいただければよろしいかと思います。

問:ローカライズ業務って?

CEO:英語版のソフトウェアやドキュメントを日本語化、つまり翻訳する作業になりますが、ソフトウェアの日本語化(ローカライズ)にあたっては、語学力だけではなく技術的な知識や感性が求められます。ローカライズプロジェクトを成功させるには、さまざまな要素が絡み合ってきますが、翻訳の質をいかに効率よく高めるかが重要な課題の一つと言えます。

ローカライズの対象となるソフトがどういったソフトなのか、ユーザーは誰なのか、どのような使われ方をするのか、販売地域(例えば、日本)で留意しなければならないことがあるのか、販売後のメーカー側のサポート体制はどうなっているのか、更新の頻度は、といったプロジェクトに関連するあらゆる要素を、お客様とのコンタクトを密にして可能な限り把握しローカライズ業務を進めていかなければなりません。時には、1つの単語を置き換えるにも、相当な労力を使ったりします。その単語がどういう状況(つまり、コンテキスト)で用いられているのかを理解し、最も適切な言葉にローカライズしなければならないからです。

例えば、”To”という単語だけが出てきた場合、辞書の訳語をそのまま使って、「…まで/…へ/…に」といった訳語を安易に当てはめてしまうと、コンテキストによってはクリティカルなミスになります。皆さんがメールを送信する際には”宛先”の欄に送信先のアドレスを入力しますが、英語ではこの”宛先”は”To”となっています。つまり、”To”を”宛先”とローカライズしていることになります。コンテキストがわかっていれば、”宛先”と訳せますが、コンテキストがわからなければ安易に訳すことはできません。英単語の”To”だけが提示されて、それを訳さなければならないとしたら、困ってしまうでしょう。コンテキストによっては、品物の送付先を意味しているかもしれませんし、あるいは、時間や期限を表しているのかもしれません。

ローカライズ業務では、英単語だけの提示であっても適切に訳すよう迫られます。これに対処するには、ソフト全体を把握し、その中で提示された単語がどういった位置づけにあるのかを洞察しうる技術的な知識や”勘”のようなものが求められます。この”勘”を裏付けているのが、技術力やソフトに対する理解度、経験値によるものとも言えます。ただ、こういった技能はすぐに備わるものでもありませんので、業務の中で磨いていくことになります。必要となる技術的な知識は幅広いので、知識欲の強い人が求められます。

問:何か、すごく難しそうですが?

CEO:難しいとは思いません。ただ、ひたむきさが必要でしょう。素養があれば、技能は磨かれていきます。わたしが意味する素養とは、その人の性格のようなものと語学の基礎力、そして何よりも、やる気や向学心、生きていくための必死さです。この仕事には、ある意味、職人肌の人が向いていると思います。いい意味での職人気質です。つまり、己の技能を磨き誇りにし、納得するまで徹底的に仕事に取り組む実直さがあるかどうかです。悪い意味での気質だと大変困りますが…。会社組織としてビジネスを行っていますので、コストを度外視したり、協調性や柔軟性がなかったりするのは許されません。ローカライズ業務は、チームプレーでもありますので、調和を図りプロジェクト全体を見渡すことも必要です。

問:最後に一言。

CEO:翻訳を生涯の仕事にしてみようと思っている方は、臆することなく是非チャレンジしていただきたいと思います。ローカライズという業務を通して、何らかの喜びを感じてもらえれば幸いに思います。ある意味、年齢を重ねても奏でられる仕事です。ローカライズという業務は、言葉を置き換えるといった断片的な作業ではありません。言うなれば、オーケストラの演奏をお客様にお届けするようなものです。一つひとつのパートパートが、しっかりと演奏され、これらパートのすべてがコンパイルという形で作曲者の想いを表現できるように融合して統合されなければなりません。適切に訳された1語1文が数限りなく合わさり調和され1つの作品となり、オーケストラの演奏としてお客さまに届けられるのです。

個々のパートをしっかりと仕上げていくにも練習の積み重ねが必要です。きつい練習があるかもしれませんが、お客様に喜んでもらえる演奏ができたときは、きっと、あなた自身にも、ジワっと喜びがあふれると思います。この仕事、やってみたいと思いませんか。チャレンジ、お待ちしています!

”Bravi 、Bravo(ブラヴォー)”

“終活(しゅうかつ)”という言葉が使われるようになってきた。言葉に慎重なローカライザーとして、その表現に異様さを感じる。その行為自体は大切なことだ。生前のうちに自身の葬儀や墓などの準備をしておくのは理解できる。多分、自分も年齢を重ねれば”最後を迎えるにあたって”を考え準備するだろう。が”終活”という言葉が”就活”の派生なのか、学生の就職活動と同じレベルで発想されたようで違和感を覚える。

そこには、直接的な表現を避け、敷居を低くくすることで”終活”の商品化が図られる市場が見える。結婚式と同じ発想で”終活”市場もランク付けされていくであろうが、”終活支援”市場にお金が流れることで、セレモニー化による”絆”の形骸化が進む面もある。社会が成熟した証なのか、それとも病んでいるのか。いずれにせよ、”終活”という言葉は使いたくない。

20代の最後のころ、ウィーン滞在中にこういうことがあった。

1日フリーの日があって、午後から街中へ出かけた。航空会社で航空券を購入し、公園でパンとソーセージをほうばりながら読書を楽しんだ。夕闇が迫るころ、そろそろ帰ろうと公園を抜け王宮広場に出ると、テナーサックスのサウンドらしき音が聞こえてきた。ちょっとぎこちないサウンドに足が止まり、目の前のベンチに腰掛けた。学生のころ、吹奏楽をやっていたせいか血が騒いだ。

広場のベンチから音が聞こえてくる商店街の方に目をやると、一見して80歳に手が届きそうな老婦人が歩道に立ってテナーサックスを吹いていた。音楽の都ウィーンとは言え、老婦人とテナーサックスのとりあわせに驚いた。たえだえのサウンドに、メロディーラインさえ掴めない。年齢からして、もはや吹きこなせないのだろう。

わたしは、暇にまかせてサックスから流れ出る音階を頭の中でつむぎ、必死に曲名を探し出そうとしていた。やがて陽は落ち商店街に灯りがともりだしても、その老婦人は何かにとりつかれたかのようにサックスを吹き続けていた。人通りはあるが、誰一人として立ち止まって耳を傾ける者はない。

その老婦人の顔をもっと間近で見たくなり、静かに歩き寄った。かなりの高齢に見える。粗末な服装をまとい、手製のサックスストラップが付いた楽器も相当に古そうだ。「よく、その年齢でサックスを吹いているもんだ」と驚嘆しながら見つめると、彼女は吹くのをやめ、「聞いてくれてありがとう。リクエストは」と、か細い声で話しかけてきた。「エーデルワイス」と答えると、彼女は一瞬知面を見つめ楽器を持ち直した。サックスを吹きはじめた彼女の立ち姿からは威風が漂ってきた。流れ出す旋律は不正確で音は途切れがちに思えたが、音色だけは深重に響き心地良かった。

曲が終わりチップを渡そうとすると彼女がほほ笑んだ。「いいのよ、喜んでもらえれば…」。しわしわの顔の奥まった目は、とても美しかった。チップ受けとして広げてあるボロボロのサックスケースをふと見ると、そこには1枚の硬貨も入っていなかった。「ずっと、サックスを吹いているの?…」と彼女と言葉を交わしていると、通りの向こうからおぼつかない足取りで同年代の男性がトボトボと歩いてきた。

「迎えに来たよ」。「ありがとう」。二人で仲良くサックスをケースにしまうと、男性はケースを右手に持ち、左手で彼女の手をとった。「またネ」「お元気で」と挨拶を交わすと、二人でわたしに笑顔を送り歩きだした。

「もう会えないかも…」わたしの言葉に振り返りながら、笑顔で肩を寄せ合い身体を同じリズムで左右に揺らせながら歩き去る二人の後ろ姿はいつしか、街灯に照らされ揺れる一つの影となっていた。

その影が街かどから消えるまで、掌が痛くなりながらも”Bravo!”と力いっぱいの拍手で見送った。一人しかいない観客の拍手がやむと、街かどは急に寂しくなった。

翌日、ベルリンへと向かう機上から、見えるはずもない老婦人の影をウィーンの街中に探していた。飛行機の窓からウィーンという街に”乾杯”しつつ、老婦人の言葉を思い返していた。「サックスは、最近始めたのさ」。

その老婦人のサウンドは、エーデルワイスのメロディーを奏でてはいなかった。が、その後ろ姿からは、”Brava”と叫びたくなる確かな人生のメロディーがかもしだされていた。

生きるとは、”そういうこと”なのだろう、とウィーンの街角で思った。”終活”という言葉を耳にするたび、街灯に揺れていた老婦人の陰影が浮かぶ。

外交の基本

硬直した外交政策が膠着を生んでいるのだが、異なる価値観に立てるかどうかで交渉の成否がわかれたりする。そこでは、双方における冷静な分析力が問われるが、この分析力の著しい欠落が外交失墜を招いているようでならない。

かつて、イスラムの世界で勤務していたが、価値観の違う人々が共存していくために、何がわれわれに求められているのかを考えさせられる日々の連続だった。

イスラム教徒最大の宗教祭日にアシューラというのがある。そのアシューラのクライマックスとなる日の宗教行事を街中に観察に出かけたことがあった。その日は、殉教者フセイン(預言者ムハンマドの孫)の命日にあたり、信徒による哀悼の街頭行進が行われる。早朝から、シーア派信徒が太い鎖やむき出しの刀剣、刃物の付いた鎖などを振り回し、自らの胸や背中、頭や額などを激しく傷つけながら街中を集団で練り歩くのである。

わたしは記録を残すため、隠しカメラで行列や街の様子を撮影していたが、周りにいる信徒を刺激することになれば何が起こるか分からないという極度の緊張を強いられた。

血をポタポタとしたたらせ、失血と興奮で気を失い倒れていく信者を街の角々で待機している救急車が次々と運んでいく。その街中の情景に、異なる民族との外交を安直に考えるな、と刃を喉元に突きつけられ悟られているかのような緊迫感を覚えた。

哀悼行進も近年は儀礼的になりつつあるとはいえ、死者も出るというその宗教行事の意味を理解しなければ、イスラムの世界が遠ざかり、外交失策を招くことになる。そこに生きる民、文化、歴史、そこで生きてきた人々を知らずして外交を語れば大きな過ちを犯すことになる。

交渉相手を知ること、理解することは、ビジネスの世界においても重要である。昨今の世情では特に、これらに対する認識が軽んじられているようだ。周りを知ること、隣人を理解しようとすることは、生きるうえでも大切なことのはずだ。

国の外交政策や戦略を立てるには、相当な情報や分析が必要となる。やみくもに号令をかければいいというものではない。分析素養がなければ、相手を知る努力を怠れば、政治家たちの好きな言葉どおり”全身全霊を尽くして”も、”命をかけて”も成果は出せないだろう。

国の外交もビジネス界も似ている。日常を大切に、隣の人に声をかける。同僚を理解する。お客様と話しをする。…。お酒を酌み交わす。各国の人々と交流する。足元を大切に視野を広げる。基本からリスタートしてもいいのでは。きっと、道は開かれる。

1本のボールペン

先日のテレビ番組で、南アフリカでボールペン販売の営業をしている一人の日本人駐在員を紹介していた。ボールペン1本30円。現地の物価からすれば極めて高価だが、「最後の一滴まで使える」日本製ボールペンの良さをわかってもらおうと、現地の人々にひたすらに売り込んでいた。

貧しい地域の学校の子どもたちが持っている筆記具は、ボールペン1本だけ。「なくしたら お父さんに怒られるから絶対なくせない」と答えていた。日本では想像できないだろうが、ボールペン1本が奇跡を生むこともある。

今は30円のボールペン。「10年後に、彼らが300円のペンを持っていてくれればいい」と将来を見つめ目を輝かせる日本人営業マンの姿に、かつてアフリカに住んでいたころに仲良しになった一人の少年を思い出した。

少年の名はアジマン。その少年との出会いは街中だった。赴任して間もない週末、街中の観察に出かけた。通りを歩いていると、「オブロニ(白人さん=わたしのこと)、アイベグユー(お願い、何かちょうだい)」と背後から消え入るような小さな声が聞こえてきた。その声の主がアジマン少年だった。

その出会いから離任までの2年間、街中に出かけるたびに声を掛け合うようになった。貧しくて学校に通えないアジアン少年は、いつも通りで物乞いをしていた。

こんなことがあった。「アジマン、学校に行かなきゃダメだよ」と話しかけると、「行きたいさ!」と、わたしを睨みつけた。「行けばいいじゃん!」軽く答えるわたしに、「ボールペンもノートも買えないから行けないんだ!」と悔しそうに言い放った。

離任が迫ったある日、お別れのプレゼントを持ってアジマン少年の家を訪ねた。家と言っても、拾ってきた板を壁にし、その上に錆びたトタン板を乗せただけの囲いである。その中で少年は、汚れて色の判別もつかない毛布にくるまっていた。「オブロニ、またマラリアに…」。少年は熱でぐったりしていた。わたしは急いでマラリアの薬などを取りに戻った。

少年に薬と栄養剤を飲ませ、「もうすぐ離任だ。もう会えないなっ」と別れぎわにプレゼントを入れた紙袋を手渡した。「学校へ行くんだぞ!学校へ」と、会うたびに口癖のように言い続けてきた言葉を繰り返した。訴えるような眼差しの少年が、紙袋の中身を覗き込むのと同時に少年の家を後にした。

離任の日が来た。車で空港入り口に差しかかった時、道端に裸足で立つアジマン少年の姿が目に入った。家から空港まで歩いて来るには相当な時間がかかったはずだ。車を降りると少年が駆け寄ってきた。少年の手には、プレゼントした1本のボールペンと1冊のノートが握られていた。

「歩いてきたのか。元気になったか」。わたしの問いかけに黙ったまま答えない。「学校へ行けよ。あきらめるな」と言い残して車に乗り込むと、少年はプレゼントを握りしめた両手を車の窓にかざした。

「プレゼント、ありがとう。僕、学校へ行くよ。約束する。ありがとう”ショーン”。また必ず来てね」。初対面から、わたしをオブロニとしか呼ばなかった少年が、初めてわたしの名前を呼んだ。

1本のボールペン。最後の1滴まで使えば、10年後の、20年後の将来まで描きだすに違いない。

夏がやってきた。熱い夏が。

節電の夏がやってきた。昨年も節電に頑張った。今年も頑張ろう~。そう奮い立たせてくれる、今は亡き尊敬する上司がいた。かつて在勤していた、在ガーナ日本国大使館の参事官がその人だ。

こんなことがあった。ある日、

「ばかやろう!」という怒る声が、玄関から通じる大使館のロビーに響き渡った。参事官の怒鳴る声だ。あまりの大声に、何事かと部屋を飛び出すと、凍りつく現地職員たちを参事官が鬼の形相でにらみつけていた。

「さっさと電気を消さんか!バカ者どもが。何度同じことを言わせるんだっ。自分たちの国が苦しんでいるんだぞ!国民が耐えているんだぞ!電気もない、水もない。皆が不自由を耐えているというのに、たまに電気がきたからといって、電灯をつけるとは。バカ者~!」

現地職員の誰かが、うっかり電灯のスイッチを入れてしまっただけであったが、叱責の言葉は30分以上も続いた。

さらに、われわれ大使館員への叱責も続いた。「君たちは何のためにこの国に赴任してきたんだ!よく考えろ!援助を行っている日本が、その姿勢を示さなくてどうする!バカたれ!この国の状況がわからんのか!電気のある冷房のきいた部屋で、本省に対して、日本へ援助案件の報告書が書けるのか?」その剣幕たるや、尋常ではなかった。

1980年代のガーナは政情不安定な状況にあった。電気や水道といった公共インフラは半壊状態。そんななか、たまに電気が供給され、たとえ薄暗い室内であっても明かりをつけようものなら、参事官の怒りようは大変なものとなった。ましてや、冷房を入れるなんてことは、どんなに汗をかいていようが、暑かろうが考えもつかないことであった。

「ガーナのどこの役所でも、電気がある時は冷房ぐらいかけているよ。それなのに、援助国の日本の大使館では、電灯をつけることさえできないなんて」といった不満のつぶやきは現地職員の中から時折聞こえてきたが、誰もが参事官の姿勢に理解を示していた。

『国を想い、人に熱く、真理に生きる』という己の信念を貫く参事官の姿勢は徹底していた。こうした厳しい姿勢は、ガーナ国の政府機関に対しても変わらず、政府機関を訪ね部屋の冷房が入っていたりすると、「干ばつでダムの水位も下がり、電力不足も続いるというのに…。わたしは暑くないけどねっ」と遠回しな表現ながら、臆することなく非難の言葉をなげつけた。

当初は困惑していた政府機関の人たちも、真剣にガーナ国を想う参事官に敬意を払うようになり、日本からの援助プロジェクトも着実に実を結んで、日本国への評価はさらに高まっていった。

その参事官は、今はもういない。ご遺族の心遣いで、火葬後の骨を拾わせていただいた。彼の名は、歴史の教科書には出てこない。が、偉大な外交官だった。外交を、生き方を教えてくれた彼との数多くの思い出は、わたしの心の中に、うずたかく残っている。幕末の志士たちよりも、日本を想い、世界を見つめ続けた熱い人物だった。そんな彼を感じる、夏がやってきた。

「歴史に学ぶことの大切さ」

これまでになく、世界的にも「歴史に学ぶことの大切さ」が叫ばれている。歴史から学ぶことを怠れば、同じ過ちを繰り返すことになるからだ。

歴史的な哲学者などが、そのことを言い続けてきた。代表的なフレーズを挙げるとしたら、直ぐに頭に浮かぶのは以下の2つだろうか。

We learn from history that we do not learn from history.
– Georg Wilhelm Friedrich Hegel

Those who cannot remember the past are condemned to repeat it.
– George Santayana

これらは、わたし自身が講演や寄稿の際によく触れるため丸暗記しているフレーズでもある。

こういうフレーズが歴史に残るということは、人類は同じ過ちを繰り返し続けていることの証でもある。歴史から学んでいないことを悟りながらも、人類はそれを繰り返していることになる。英語で表現すれば、以下のようになるのだろう。

The only thing we learn from history is that we never learn from history.

歴史を知れば、歴史から学ぶことの大切さに気付くものなのだろうが(The more you know about the past, the more you realize the importance of learning from the past)、それでも歴史は繰り返している(History repeats itself)。

いつも、講演や寄稿の最後に記すわたしのコメントを一言…。

“歴史は繰り返されている。歴史に背を向けたときに、人類は再び大きな過ちを犯すことになるだろう”

History is repeating. When turning our backs on the history, humankind will continue to make the same grave mistakes.

敢えてしつこく繰り返し述べるとしたら…

“It’s never too late to learn from history, because history is repeating. It’s never too late to become what we might have been.

遅きに失した悲劇は無数に存在する。が、あきらめない姿勢が大切なのだと思う。

Widget(ウィジェット)とGadget(ガジェット)

ウィジェットという用語も最近は聞き慣れてきたが、若いころ(20代の中頃までは)は聞いたことがなかった。酒飲みのわたしが、”ウィジェット”と聞いて頭に浮かぶのは、ギネスビール(あの黒ビール)缶の中に入っている”あのコロコロ”と鳴るやつだ。

ドラフトギネス缶を振ったことのある人なら、コロコロという音に”缶の中に何か入っているのだろうか”と気になったに違いない。好奇心にまかせ、飲み終わった後に缶をペンチで切り開いた人もいるだろう。”何かわかんないけどプラスチック製のような白い丸いボール”が入っているのを見て、”これが入っているから泡がクリーミーになるんだ~”と、これまたよくわかんないけど納得したのでは。あの白い丸いやつのことを”フローティングウィジェット”と呼ぶが、英語では何か名前はわからないけど、小さな装置のようなパーツみたいなものをウィジェットとかガジェットとか言う。

ガジェットという単語は昔から日常で普通に使われているが、近年は電子的なデバイスを指したりもする。ウィジェットもガジェットも”シンプルで便利なアプリ”の意味で使われたり、あるいはアプリへのアクセスを意味する簡単なプログラミングを指したりもする。ガジェットは特に、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)の要素が強い小さなプログラムと言ったところだ。

最近はあまり聞かなくなったブログパーツはウィジェットである。ウィジェットとガジェットの違いを、その所有性の有無で問うケースもあるが、一般のユーザーにとってはそんなことは関係なく、”便利なミニアプリ”であり、”あれば便利なアクセサリーソフト”である。どちらも、ちょっとした知識があれば比較的簡単に作成できるが、その必要性を感じないほどに、さまざまなウィジェットやガジェットがWeb上にも溢れている。例えば、カレンダー、時計、メモ帳、地図、最新ニュースの表示など、例を挙げればキリがないほどだ。。

スマホが流行っている中、ウィジェットもガジェットも、その地位を確立したと言える。ウィジェットは、わたしが大人になってから生まれた言葉なのだが、ガジェットなら子供のころから日常で良く使っていた単語でもある。何か面白いちっちゃなものがあると”ガジェット””ガジェット”と呼んで遊んでいた。が、物心ついたときには、人類最初の原子爆弾のコードネームに用いられたと聞かされた。その後、広島と長崎の原子爆弾が”リトルボーイ”と”ファットマン”というコードネームであることも教わった。

いつも感じることがある。言葉は生きものだな~と。言葉には深い履歴があったりする。時代の肖像のようだ。時代の衣をまとわされたり意味合いを変化させられたり。それだけに、”言葉”を生業にしている者として、その言葉の本来の姿だけはしっかりと見極められるようにしておこうと思う。ローカライズ(翻訳)を通して、1つ1つの言葉から学ぶことは多い。

『見える化』

「見える化」という言葉が、以前にも増して流行っている。昨今の世界経済の落ち込みによる企業の業績低迷が影響しているのだろうか。この「見える化」という言葉だが、英語にはピタッとくる単語がない。

一つの英単語で表現せざるを得ないとすれば、Visulaization(可視化)なのだろうが、”Mieruka”として説明を付けた方が正確に意味を伝えられるのかもしれない。何がなんでも1単語で表現したいというのであれば、Transparency(透明性)がいい。つまり、透明性を高めることで問題を見つけ、その問題を誰もが理解できるように明確にしていくことが可能となるからだ。とは言ってみたものの、そもそも日本語として「見える化」の定義が社会全般に認知されているのだろうか。

「見える化」とは、文字どおり”見えないものを見えるようにする”ということなのだが、「見える化」が万能薬のように扱われてはいけない。企業においては、問題を「見える化」さえすれば企業が自動的に強くなるというわけではないはずだ。

「見える化」は、単に手段であり目的であってはならない。問題を「見える化」するだけでは、野次馬を増やすだけの結果を招きかねない。大切なのは、問題を解決していこうとする社員の強い意識である。現場の意識を高めることが企業を強化することに繋がる。堂々巡りのような言い方をすれば、その意識を高める手段の一つが「見える化」となる。極論すれば、意識がない現場で「見える化」に先走ってはならない

IT関連ドキュメントの翻訳をしていると、イノベーション(革新)という言葉を見かけない日はない。技術、概念、仕組み、サービスといったものが業界に革新を起こし続けているのは確かだ。が、イノベーションをもたらすのは、実は社員の意識、現場のパワーだということを忘れてはいないだろうか。

先日、そんな警鐘を鳴らすドキュメントと出会った。企業の管理者層に対する啓蒙資料のようなものだったが、そのドキュメントを作成した企業は、その啓蒙が成功すれば、確実に業績を回復させ、さらに発展し、より多くの人から”選ばれる企業”となっていくだろうと思った。

日々之精進(Days diligence)

ローカライザーとして常に頭に置いている言葉は”信頼”。データの持つ可能性と危険性を日々感じているからだ。

世界のトップ企業のローカライズプロジェクトに関わっていると、時代のトレンドが見えてくる。トレンドのキーワードの一つは「ビッグデータ」。

データ爆発(データの爆発的な増大)へ対応するITインフラの構築、仮想化環境の実現、迅速なディザスタリカバリ、クラウドサービスの提供、モビリティの強化、脅威への備え、ビジネス継続計画の策定、環境対策など、企業は次々と生まれるさまざまな課題への対応や新たな市場の創出へ向けたチャレンジを続けている。そこには、課題をビジネスチャンスへと転換させていく弛まない挑戦が見える。

秒単位で想像を遥かに超える大量のデータが生成され続けているIT社会。モバイル端末の爆発的な普及は、ソーシャルメディア市場を驚異的に拡大させ続けている。企業が提供する無数のネットサービスによって、個人の動向や嗜好までも把握できる詳細な情報の取得と蓄積が進み、市場のトレンドを十分に分析し得る”価値の高い情報”となって次世代の幕開けを待っている。

まさに、新たなビジネスの創出に向けた情報価値が生み出され続けている。IT社会では、その価値をさらに高め、さらに多角的に活用し得る技術の開発も進んでいる。留まることのない流れの波ように、いや、周りのすべてを飲み込み急激に拡大し続ける銀河のように、生みだされた新たな価値はループのように連鎖され、新しい社会トレンドの創出をも予感させている。

予想を超える展開を見せるであろう”ビックデータ時代”の到来で、わたしたちは何をたぐり寄せようとしているのか。日常の風景をも一変させ、さらなる新時代の幕開けをも見通させるデジタルメディアの市場への浸透は、無限の可能性を秘めたビッグデータをさらにビッグへと拡大させている。

無機質なデータの巨大な集まりは、”お客様の顔の見える”有機的な情報、計測不能なほどの高い価値情報へと変貌し、新たなビジネスを生み出そうとしている。もう既に、”ビッグデータ時代”は”ビックデータビジネス時代”へと移行を始めている。

時代の先端をキャッチアップし、お客様のニーズに全力でお応えすべくローカライズ業界のフロントランナーとしてやるべきことは、恐れを忘れず恐れることなく、ひたすらに”日々之精進”だろう。社会への貢献を旨とし”信頼”を胸に。