Sake -> No Naked Boxes

「Sake」のブログに、必死で笑いこらえる。苦しい~。”オチ”をそこに持っていくか~!!!

“オチ”の意外性に、ある訳語で悩んだことを思い出した。。

先日、製品サービス関連のドキュメントの中に、”No Naked Boxes”という英語が出てきた。粋な言葉を使いやがって、と思いつつ訳に悩んだ。「空の箱はない」なんて訳は、文脈からしてあり得ない。

人は箱を見るとどう思うだろうか。何か入っているだろうかってワクワクしたり…。箱には何かが入っているもの(箱に中身は必須)だと考えれば、すんなり訳語にたどり着いた。製品にサービスは必須。。。「製品とサービスは一体」

筆者の狙いは不明だが、勝手にそう解釈した。酒好きのSakeの筆者はクマ好き。一升瓶が出てきたときは、まさかクマと晩酌?っと思ったが、オチは、もっと深かった。訳語のオチも他にあるのかもしれない。

誤解される機械翻訳

時折、「機械翻訳」という言葉が「誤訳」という尾ヒレを付けて世間を賑わしている。機械翻訳というシステムが悪いのではない。運用する側の認識に問題があるのだ。機械翻訳されたものは、そのまま使えるレベルにはないが、その機能は改善が進み品質は良くなってきている。市場では、なくてはならないシステムであるが、「機械翻訳はダメだ」と悪者扱いされたりする。問題は機械翻訳を利用する側がユーザー(読者)の求めているものを把握していないところにある。

機械翻訳を利用する市場はさまざまだ。例えば、「機械翻訳の品質で構わない」という市場も存在する。誤訳があっても、とにかく安くてリアルタイムで読めればいいという市場だ。そういった市場が存在するのは、提供者側とユーザー側との利害が一致しているからだ。機械翻訳を利用する人たちは、そこをしっかり認識しておく必要がある。

誤訳があっては困るが、品質的に問題とならない程度で良しとする市場もある。そういった市場では、機械翻訳後に後編集(ポストエディット)という作業を行う。予算と時間に制約がある場合でも、その市場では絶対に必要な作業だ。

品質を問われる市場では、すべてを人手により翻訳することもあれば、機械翻訳と人手による翻訳とを高度なレベルで組み合わせて翻訳を進めていく場合とがある。プロジェクトの規模(期間、予算、リソース調達の度合いなど)により、進め方はさまざまだ。

そもそも、誤訳があっては困る市場に対して、機械翻訳だけで賄おうとするから笑い話のネタになるのだ。予算がなかったのか、時間的余裕がなかったのか。まさか、認識が欠落していたわけではなかろうが、発信する情報がいい加減な内容だと、笑い話では済まされなくなってくる。特に、公共性のある情報の場合はそうだ。「情報の受け手(お客様)が求めているものは何か」を把握することからスタートすべきなのだろう。それが、ビジネスの基本のはずだが。

プロ魂?

さまざまな企業のドキュメントを翻訳していると、成長している企業とそうでない企業の識別が少しできるようになってくる。成長している企業のものは、文章が明快で簡潔、わかりやすく書かれている。低迷している企業のドキュメントには、不明瞭なものが多い。ドキュメント構成がしっかりしておらず、文章は意味不明。執筆者しか理解できないような難解な表現のオンパレード。

そんなドキュメントを目の前にすると、ゲンナリしつつも翻訳者としてのプロ魂が燃えたりする。いい作品に変えてやろうじゃないか、と傲慢に意気込んでみるのである。が、単語が散漫に羅列されていたりすると、どうにもこうにも解釈できないことがよくある。そういった場合は、執筆者が作成したかったであろうドキュメントの目的を調べ上げ、執筆者が納得するであろう内容で一から書きあげてしまう。もはや翻訳ではなくドキュメント作成となる。腹立たしくも、プロ魂にバイアスが掛かったような心理状態に陥る。ドキュメント作成にあたってのコンサルティングでもしてあげたい、と本気で思ってみたりするのである。