誤解される機械翻訳

時折、「機械翻訳」という言葉が「誤訳」という尾ヒレを付けて世間を賑わしている。機械翻訳というシステムが悪いのではない。運用する側の認識に問題があるのだ。機械翻訳されたものは、そのまま使えるレベルにはないが、その機能は改善が進み品質は良くなってきている。市場では、なくてはならないシステムであるが、「機械翻訳はダメだ」と悪者扱いされたりする。問題は機械翻訳を利用する側がユーザー(読者)の求めているものを把握していないところにある。

機械翻訳を利用する市場はさまざまだ。例えば、「機械翻訳の品質で構わない」という市場も存在する。誤訳があっても、とにかく安くてリアルタイムで読めればいいという市場だ。そういった市場が存在するのは、提供者側とユーザー側との利害が一致しているからだ。機械翻訳を利用する人たちは、そこをしっかり認識しておく必要がある。

誤訳があっては困るが、品質的に問題とならない程度で良しとする市場もある。そういった市場では、機械翻訳後に後編集(ポストエディット)という作業を行う。予算と時間に制約がある場合でも、その市場では絶対に必要な作業だ。

品質を問われる市場では、すべてを人手により翻訳することもあれば、機械翻訳と人手による翻訳とを高度なレベルで組み合わせて翻訳を進めていく場合とがある。プロジェクトの規模(期間、予算、リソース調達の度合いなど)により、進め方はさまざまだ。

そもそも、誤訳があっては困る市場に対して、機械翻訳だけで賄おうとするから笑い話のネタになるのだ。予算がなかったのか、時間的余裕がなかったのか。まさか、認識が欠落していたわけではなかろうが、発信する情報がいい加減な内容だと、笑い話では済まされなくなってくる。特に、公共性のある情報の場合はそうだ。「情報の受け手(お客様)が求めているものは何か」を把握することからスタートすべきなのだろう。それが、ビジネスの基本のはずだが。

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