父親の呼び方で一番多いのは「お父さん」だそうだ。2位はわからないが「パパ」なのだろうか。関西あたりだと「おとん」と呼ぶのが多いのかもかもしれない。日本昔話では「おっとう」とか、テレビドラマなどでは「お父ちゃん」という呼び方もよく聞く。愛情表現である呼び方が、家族によって、あるいは地域によってまちまちなのは当然と言える。
米国だと「Daddy」とか「Dad」が一般的だが、これらの愛情表現の翻訳は文脈がわからないと結構悩ましい。年齢とともに「Daddy」から「Dad」へと呼び方を変えたりするケースが多い。日本でも、男の子が「父ちゃん」と呼んでいたのを、いつの頃からか「おやじ」と呼ぶようになったりするのと似ている。ところが女性の場合は、ちょっと異なる。「Daddy」はいつまでも「Daddy」と呼ばれたりする。日本でも、その傾向があるようだ。「パパ」はいつまでも「パパ」であり、「お父さん」は「お父さん」なのだ。
因みに、わたしの場合は頻繁に呼び方を変えている。
生まれてから幼稚園生の頃まで:おとう
小学校の低学年の頃まで:おとう、父ちゃん
小学校の高学年の頃から中学生まで:お父さん(ふざけて、父上)
高校生から大学生まで:父ちゃん、父さん、お父さん
社会人になってから:父ちゃん、父さん、おやじ
現在:おやじ
将来:おとう
新年の朝に、突然になぜか「おとう」の音が脳裏に響いた。「おとう」に、一家の「大黒柱」としてのたくましさを表しているような、荒々しさや強さをイメージさせているような、偉大さを表現しているような音の響きを生まれて初めて感じた。「おとう」は、「さん」や「ちゃん」付けでは呼べない大きな畏敬の対象なのである。
父のことを「おとう」と呼ぶように、子どもたちに教えたのは母であったに違いない。いや、単に「おとう」が地元では一般的な呼び方であったのだろう。何れにしても今度、父を直接呼ぶときには、尊敬と愛を込めて「おとう」と呼ぶことにしよう。
あらためて、誰かに原点回帰を説かれているような、そんな感覚を覚えた新年の朝であった。奇しくも今年は、父の生年である。