大切なもの。

先日、迷惑メールボックスに隔離されたファイルを念のためチェックしていたら、海外クライアント企業のドメイン名の付いたメールを見つけた。開いてみると、Thanksとだけ書かれていた。HiともHelloともなく、宛先名も送信者自身の名前さえも書かれていなかった。ただ、Thanksとだけあった。気心の知れた友だちならわかるが…。

差出人のメールアドレスを調べると、そのクライアントの、ある業務の担当者「M」のようだった。丁度、そのクライアントの窓口担当者から依頼され、「M」宛にドキュメントをメール添付で送信した翌日だったので、Thanksという返事らしきメールの趣旨が理解できた。

その差出人とは面識はない。初めてのコンタクトだったので、こちらからは丁寧な文面でメールを送った。が、返事はThanksだけだった。メールに何か殺伐としたものを感じた。それでも、「きっと、Twitterと間違えたのだろう。いや、短いメールにして此方の多忙さを気遣ったのだろう」と思うことにした。

話は飛ぶが、子どものころ牛乳配達のアルバイトをしていた。夜明け前に配達所で木箱に牛乳ビンを詰め、自転車の荷台に段重ねで載せて配達に向かうのだが、子どもの体力では容易ではなかった。1箱に牛乳ビンが確か40本。それが2箱、3箱となると曲芸のようになってくる。運転中もハンドルをしっかり握っていないと、すぐにコケた。横転して、ほとんど割ってしまったこともあった。朝帰りの酔っ払いグループに牛乳を取られそうになり、殴り合いの喧嘩をしたこともあった。日常のように、手や足を擦りむいて怪我をした。痛さは我慢すれば済むが、配達が遅れて牛乳を待っている人に迷惑をかけることが辛かった。

あれは、12月25日のクリスマスの朝だった。ある家の牛乳ビン箱を開け、ビンを入れようとして手がとまった。箱の中に、小さな包みが入っていた。サンタクロースの衣装のような真っ赤な包装紙の上に、白い紙が貼ってあり、こう書かれていた。

牛乳配達屋さんへ
いつもありがとう。
(その家の名前)

包み紙の中には、牛乳のような真っ白な手袋が入っていた。わたしは、牛乳ビンをいれ、その家の人が寝ているであろう方角に深く頭を下げた。翌朝、牛乳ビンと一緒にお礼を書いたノートの切れ端を置き、再度頭を下げた。

(その家の名前)様
ありがとうございました。大切に使います。
牛乳配達屋

言うまでもなく、その後、その家への牛乳配達だけは、決して遅れないように心がけた。届ける牛乳ビンに1点の汚れのないものを選んで。

一言伝えるにも、大切なものがあると思う。Thanksのメールを受け取って、大切なものが失われつつあるような気がした。たとえビジネスでも、ビジネスだからこそ心づかいを忘れないようにしたいと改めて思った。

線路脇で。

どこかから1粒の種が飛んできたのだろ。大都会の線路脇で野菊が1本咲いていた。野路菊、いや嫁菜(ヨメナ)の種類だろうか。

子供の頃、嫁菜のような野菊を摘んで、病気で学校を休んでいる友だちの家へ見舞いに行ったことがあった。綺麗な花だと思って、野原や庭で10本ほどを摘んで花束にした。子供の自分には、それが精一杯だった。

友だちの家に着き、玄関口に出てきたご家族の人に花束を渡したら怪訝な顔をされた。どうせなら、もっと豪華にバラのような花にすれば良かったのだろうかと少し悲しくなった。

嫁菜の花言葉は、”隠れた美しさ”だったと記憶している。電車を待っていて、そんなことを思い出した。

Resilience(レジリエンス)

最近、Resilience(レジリエンス)という言葉をよく目にする。耳にする。IT関連のドキュメントでも頻繁に出てくるようになった。

ローカライザーとしては、その言葉が使われている文脈を読み取ってから、どう訳すかを判断している。

一般には、回復力、復元力、適応力、弾力性、危機耐性などと訳されるが、どれもピンとこない場合は、敢えて言葉を補うこともある。

単に、カタカナ表記にしてしまえばそれまでだが、レジリエンスの意味を理解していない読者にとっては、それでは意味不明のままとなってしまう。

このレジリエンスという概念、新しい言葉のようであって、実は昔から日本人に、いや人間に備わっていたものである。単にこれまで、その研究が十分になされていなかっただけのような気がする。

「想定外」のことが起き、ある種のシステム機能が失われたとしても、そこから復旧、回復、そして成長していくのが人間のレジリエンスでもある。

災害や危機に耐えるだけでは、レジリエンスとは呼べない。風雪に耐えることがレジリエンスではない。我慢が回復力の強さを示すものでもない。苦難に耐えた後に、人間は壊れてしまうことが多い。

レジリエンスとは、生きたい、生き抜きたいという意志、命を大切にする心だと思う。

昔、読んだ本の中に、レジリエンスは、「I have」、「I am」、「I can」で構成されると書かれてあった。敢えて訳すまでもなく、わかりやすい説明である。これらをより良く高めることがレジリエンスを強化することに繋がっていくのだろう。求められているのは、レジリエンスを高めるための環境作りである。未来に対して常に前向きに肯定的に生きられるか。

レジリエンスの強い社会を築いていくこと、レジリエンス意識を高く持つことが強く叫ばれる時代へとようやく歩み出しているような、そんなことを敢えて思わせるニュースが増えたような気がする。

※竹の子の写真があったのでなんとなく載せてみた。”竹の子はぐんぐん育って、弾力のある大人の竹となるのだろうな~”

チャレンジ、お待ちしています!

社員(プロジェクトマネージャ)募集を開始した直後から、多くの問い合わせをいただいている。興味を持っていただけるのは大変ありがたい。

募集のたびに思うのは、選考の難しさ。いやいや、会社側も応募者に選考されていることになる。採用にいたるかどうかは、ある意味「ご縁」なのだろう~。

チャレンジ、お待ちしています!

デプロ社員募集!

弊社でプロジェクトマネージャ(翻訳コーディネータ)を募集している。狭き門だと思うが、やる気のある方はチャレンジしてもらいたい。

ブログを読んで、どういった人たちが働いているか、なんとなく想像できると思う。採用のキーワードは欲を言えばいくつもあるが、敢えて3つだけあげるとしたら、信頼、意志、能力だろうか。さらに、敢えてもう1つプラスしたいキーワードは、クセ(ユニークさ?ちょっと変わっている?)かも。

信頼があるから一緒にいられる。
意志があるから持続可能となる。
能力があるからやり遂げられる。
クセがあるから可能性が広がる。

そんな感じ!

世界の経済状況は良くない。ユーロ圏は最悪だし、米国経済も回復していない。日本経済も先行きまさに不透明感が漂う。そんな状況だからこそ、やる気がさらにでる。

東北、福島、日本、頑張ろう!DEPRO頑張る!

軍事技術が…。

軍事利用の衛星画像精度は、Webで一般に公開しているレベルとは当然違う。衛星の性能や軌道高度などによって、取得できる画像精度も異なってくる。例えば、低高度軌道衛星の画像精度は高い。簡単に言えば、低い軌道の衛星を利用し、ピンポイントで撮影すればいいわけだ。が、莫大な経費が必要であることは言うまでもなく、実際にはさまざまな条件が整わないかぎりそう簡単ではない。

しかし、世の中、便利になったものだ。軍事目的で開発された数多くの技術が民生利用に転換されている。GPS機能はまさに、これらの開発から恩恵を受けた優れ物。

かつて、軍事目的のレーダーシステムやら通信傍受・解析システムなどの開発資料を翻訳していたことがあった。詳細は書けないが…と言うより、すべて忘れてしまい、思い出すこともないが、そういった技術が今では、われわれが日常使っているIT機器にも応用されている。そんなIT機器を目にするたびに、さまざまなことをアナログ的に対応していた東西冷戦時代の厳しさが脳裏によみがえる。時代の移り変わりは、面白いもんだな~。

Googleは、やるね~!

ニュースになっているGoogleの自律走行自動車って、どんなんだろうか。視覚障害者も利用できるのであれば、まさに画期的だ。将来的には、自動車免許も不要な時代が来るのかもしれない。

Googleは革新的なことをやり続けている。ストリートビューや航空写真の提供は、プライバシーの問題等が指摘されているものの、ユーザーにとっては便利だ。見知らぬ街の観光気分も味わえる。

GoogleのWebでの翻訳サービスやらGmailでの翻訳機能やら、必要なユーザーにとっては利用価値はすごぶる大きい。まさに技術革新によって生みだされる価値と言える。

そんな価値を、ポジティブにどう捉えて活用していくか。進化する技術が、人間に何かを問いかけているようだ。価値の隣には、常に損失もあることを忘れてはいけないが、それにしても、Googleはいろいろやりおる。DEPROも頑張らねば!日本、頑張れ!

「DEPRO」看板

会社オフィスビルの表通りに面している[DEPRO]のテナント看板を張り替えた。以前の日焼けした看板を早く一新したかったので、なんかすがすがしい。シンプルでいい感じ。

さてさて、誰もが知っているさまざまなソフトウェアの日本語化を行っているDEPROは、都心ではなく東京の西に位置する南大沢という地域にあります。IT発展のおかげで、都心から抜け出し落ち着いた環境で仕事がやれるのはありがたいですね。

ローカライズ業界のフロントランナーの1社として、世界中のお客様を、ここ南大沢から支援しています。日本サイドのローカライザーとして、頑張ろう!

“人生を楽しませてくれる”マシーン

「Power Mac G4 Cube」を見たときは”なんと斬新なデザインじゃ!”と感動したことを覚えている。ただ、”値段が~”ということで買わなかった。それからほどなくしてキューブの姿が見えなくなった。あるとき、あのデザインを見て”灰皿…”って言った友だちがいた。”そうだけどさ!”

Macと言えば、わたしにとっては「Classic」が最高峰だ。初めてClassicをいじったときの感動は今でも思いだせる。Classicは、他社製品とはまるで異なる別次元の世界を創り出していた。まさに、直観的に使えるマシーンの出現にただただ興奮し、それこそ寝る時間を惜しんでMacの世界にのめり込んだ。

“やんちゃ”なMacとの闘いの歴史は壮絶だが、人生を楽しませてくれている。ファイルの復旧を試みた回数など、数えきれない。最近はだいぶ”お利口さん”になってきてはいるが、”やんちゃ”な部分も少しはあった方が、こちらも少しは利口になるような気がする。

最近は”優れた機能”のマシーンばかりで、”人生を楽しませてくれる”マシーンが減ったな~。

グローバル化の弊害か?

最近、海外から送られてくる英文のマニュアルやマーケティング資料などで文章の質が悪いのが増えてきた。英語ネイティブでない人たちが英作文をしてドキュメントを作成しているためだと思われる。企業のグローバル化による弊害の一つなのだろう。

英語を母語(あるいは第一言語)としていない人たちの英文は、解読するだけでも苦労する。読んでいると異常にストレスがたまってくる。英語ネイティブでない人が書いたドキュメントには、当人の母語(あるいは第一言語)の文法に従って英単語を並べただけのような文章などがあったりする。そういったときは、単語を並べ替えたり、別の表現を当てはめたり、視点を変えたりして何とか解読を試みる。完全にお手上げとなることは滅多にないが、解読に費やす時間と労力は相当なものだ。

翻訳の大変さは、翻訳対象の原稿(ソース原稿)を解読して目的(ターゲット)の言語にしなければならない点だ。それも、質的に悪いと言われないようなレベルで。