地元とともに

昨日、3月末で閉店が決まっている都立大の中にあるフレンチレストラン、ルヴェソンヴェールへランチ付きのジャズコンサートに行ってきた。主催者の方は長年多摩でジャズコンサートを企画されてきた方ということで、こういう活動をずーっと続けてこられたというのは、本当に素晴らしいことだと思う。このレストランが閉まってしまうことで、今後活動はどうなるのだろう。またどこかで再開されるときは、のぞいてみたい。
なんといっても地元の活動や、地元のレストランは地元民が守るしかない!!!
(ちなみに私は着付けの先生のお誘いを受け、出かけたのだが、初めて一人で着付けをして出かけたので、ドキドキだった。なんとか最後まで崩れずに終ってほっと….)

私は会社と同じ郵便番号を持つ地域に住んでいるのだが、ここに越してきてからもう30年になる。
引っ越してきた年に南大沢と橋本間の京王線が繋がり、便利になった。その頃、駅前には三越(柚木三越)があった!ダイエーもあった。アウトレットはなかった。

娘は保育園、小学校、中学校と地元の学校に通い、本当に地域の方にはお世話になった。
珍しいことなのかもしれないが、うちの公団では棟ごとに階段が2つあり、A階段、B階段と呼ぶのだが、A階段の10戸のうち、7戸は当時と同じ人が住んでいる。子供が大きくなって出て行ったり、亡くなる方もいたりする中、ずーっと同じメンバーで年2回草取りをし、花の植え替えを行い、階段掃除をしている。

団地内だけではなく、娘は犬の散歩をしているご近所さんにも御世話になった。仕事があり、私が送れなかったバレエのお稽古は、犬の散歩をする方と一緒に駅まで行ったり、帰って来たり。犬の方が娘を見ると寄ってくるのだそうだ。
その犬たちももう老化が進み、歩けないくらい衰弱している老犬を大事そうに抱っこして散歩させている方を見て、娘が「あーカエサル君だ!」という。大きな犬だったのだが、今はやせて小さくなっている。
そうかと思えば「あートッピーだー」と言って寄って行ったら連れていたおばさまが怪訝そうな顔をしていて、娘が名乗ると「えーーーーーーーーー!こんなにおっきくなったの???あー、この子、トッピー2号なのよ。」と言う。トッピー1号はもういないのだそうだ。
ジョンというポメラニアンは、いつも年配のおばさまとゆっくりゆっくり散歩をしていた。ある日抱っこされているジョンを見て娘と「あれ、ジョン、ジョンだよね?」というと抱いていた方が「あーそうです。いつもお世話になっています」と返された。おばさまはどうされたのかね、と案じていたが、最近ではもうジョンも見かけなくなってしまった。
いや、ワンちゃんの話をしているのではない。
地元の方にお世話になったという話だ。

コミュニティーがなくなったと言われてから久しいが、この地域にはまだそのかけらが残っているように思う。

学校でも地域を、子供をずっと支えてくださる方がいる。学校でずっと委員をしてくださっているKさん、Oさん、青少対のTさん、朝、学校の門の前に立ち子供たちに挨拶をして受け入れてくださるKさん、本当にお世話になりました。御世話になるばっかりでなかなかお返しができないけれど、いつか子供たちが自身の家庭を連れて戻って来てくれる街にしたいと思う皆様の願いに心から共感します。

小さな貢献。
先日、会社でプリンターを買い替えた際、大量に出た印刷紙を地元の中学にもらっていただいた。
昔はDTPした後に印刷して確認をし、そのうえで納品していたが、最近はPDFとはいってもWeb上に載せるものばかり。会社でもきちんとしたプリンターは不要になった。また、最近はコンテンツ自体がインタラクティブなものや動的なものが多く、従業員もPC上でチェックすることに慣れていて、印刷することもなくなった。家庭用のプリンターに買い替えて1か月ほど経つが特に支障はない。時代の変化。

また、地元の企業として何かできることがあればお手伝いさせていただきたいと思います。

帰省

先月、週末を利用し父の三回忌で帰省した。出発日と帰京日を含め3日のスケジュール。羽田から直行便で片道3時間半を要する。

空港到着後、空港で迎えてくれた姉夫婦と共に、父の遺骨が安置されているお寺へ直行。そこで母や兄夫婦と再会。焼香を済ませ母の居宅へ。一息入れて兄夫婦の家へ。私が大好きな姉お手製の出汁の効いた汁物をご馳走になり、すぐに何名かの恩師の家を訪問。涙の再会。

そうこうしているうちに夕暮れに。
いざ、小学校時代の同級会へ。
(幼なじみ、そして恩師と語り尽くせぬ楽しい時間。。。)

翌朝は朝早くから多くの同窓生(友)の自宅を訪問。

帰省の際は、父の葬儀に参列してくれた同窓生たち全員の自宅を一軒一軒回ろうと決めていた。「返礼は挨拶状で済んでいるでしょ」と言われそうだが、直接お会いして礼を述べずにはいられなかった。父と直接に関わりのないはずの同窓生たちが数多く葬儀に来てくれていた。記帳名簿に記載された友の住所を頼りに一軒一軒回った。

直接顔をみて「ありがとうございました」と心を込めてお礼を申し上げたかった。突然の訪問であったため不在の友もいたが、在宅の同窓生たちは玄関ドアを開けるなり飛びついてきた。ハグしながらの再会。

「ありがとうございました」と頭を下げる私の挨拶をさえぎるかのように、「昌順、来てくれてありがとう。友だちの親の葬儀にかけつけるのは当然さ」の声に涙があふれ、友の顔を見るのがやっとだった。

午後は三回忌の法要を挙行。夜はいくつかの夕食会。翌朝は挨拶回りを終えて母の居宅と姉夫婦の家へ。その後、甥っ子たちの家族も含め皆さん総出の空港でのお見送りを受けて機上へ。

飛行機の窓外に広がる島が遠くになるにつれ、島の優しさに応えられない自身の未熟さと愚かさに嘆き、空に向かってわびた。そして何より、あらためて「おとう」様の偉大さと母の愛に気付かされた帰省となった。

日本からの出国と入国事情_2023年3月

2023年2月にオーストラリアを訪問した。その際の出入国状況を書いておく。

まずオーストラリア入国にはワクチン接種3回の証明が必要。英文接種記録アプリを接種のたびに更新しているから、今は4回目の接種記録がアプリに残っている。問題なし。

ただオーストラリアに入るにはETASというビザ取得不要の証明のようなものがいる。スマホのアプリ上から接種証明やマイナンバーカードを読み込んで、601というビザを申請し(20ドル:約1800円)、翌日には”Granted”の通知が来る。旅行中、このビザを見せることは一度もなかった。

出発当日。空港で出国審査。ここがセルフになってから出国がすごく早くなった。この日は修学旅行に行く高校生(贅沢だなあ)と空港で一緒になったが、まったく並ぶことはなかった。私はマスクも取らずに認証された(娘はマスクを取るよう要求された)。どこを見てるのかな。

9時間のフライト後、シドニーで入国審査。これは一応並ぶ。でも早い。簡単な質問をいくつかされてさあどうぞ。Visaの提示や接種アプリの提示はなし。
この時点でマスクをしている人は私たち以外誰もいなかった。ちなみに街中では中国の人は外でもマスクをしていた。電車の中では、オーストラリアの人もマスクをしている。シドニーは国際空港からのアクセスが非常によく、20分ほどエアポートリンクという電車に乗ったら市内に着いてしまった。

滞在中、MardiGrasのパレードがあり、コスプレがすごかった。大学でGender系の勉強をしている娘はいい経験ができたと大喜び。スーパーやレストランにそのままのコスプレで入ってくる。ドイツでもセントパトリックのパレードにかちあったのだが、シドニーの方がコスチュームは過激な感じがした。

さて帰国。座席指定が前もってできないチケットだったため、24時間前にQuantas Airのアプリからチェックイン。往きはその時点でEチケットが発券されたが、帰りはDocumentの確認があるので、発券できないと言われる。

この後日本の電子検疫手続き、Visit Webに登録する。前回はMy SOSへの登録だったが、今回はVisit WebへのWeb登録だった。
やることは同じで帰国便を登録し、接種証明のアプリからダウンロードした画像をアップロード、質問書への回答をアップする。画面が「審査中」ステータスになる。申請したのが、日曜日の夜10時くらいだったが、30分ほどして審査完了の連絡あり。
ログインするとステータスが青になっている。

取り敢えず安心。

翌日、空港に着くとDocumentをチェックするカウンターでいくつかの質問を受ける。
Visit Webに登録したか?と聞かれ、登録済みだと画面を見せるとGood!
ワクチンを何回接種したか?と聞かれ4回と答えると、「4回か、まだいいね。6回、7回接種している人もいるんだよ。」ということだった。

その後自身で荷物をDropして(荷物預けに人がいるカウンターはない)、ゲートへ。

9時間のフライト後、羽田ではこの画面をかざし、誘導に沿って歩く。途中で紙を持っている人やこの画面を見せていない人は横に呼ばれる。

税関申告も電子登録。Visit Webで先に登録しておいて、入国後、荷物受け取りの場所で待つ間に専用機械で登録。写真を撮られて照合。これにより税関はそのままスルー。

あっという間に入国。これも無人。早い!

しかしこの検疫手続事前登録は本当に便利。今回は荷物がなかなか出てこなくて30分くらいかかったが、上手く荷物が出てくれば着陸して飛行機のドアが開いてから15分くらいで外に出られる。デジタル庁、なかなかです。