線路脇で。

どこかから1粒の種が飛んできたのだろ。大都会の線路脇で野菊が1本咲いていた。野路菊、いや嫁菜(ヨメナ)の種類だろうか。

子供の頃、嫁菜のような野菊を摘んで、病気で学校を休んでいる友だちの家へ見舞いに行ったことがあった。綺麗な花だと思って、野原や庭で10本ほどを摘んで花束にした。子供の自分には、それが精一杯だった。

友だちの家に着き、玄関口に出てきたご家族の人に花束を渡したら怪訝な顔をされた。どうせなら、もっと豪華にバラのような花にすれば良かったのだろうかと少し悲しくなった。

嫁菜の花言葉は、”隠れた美しさ”だったと記憶している。電車を待っていて、そんなことを思い出した。

Resilience(レジリエンス)

最近、Resilience(レジリエンス)という言葉をよく目にする。耳にする。IT関連のドキュメントでも頻繁に出てくるようになった。

ローカライザーとしては、その言葉が使われている文脈を読み取ってから、どう訳すかを判断している。

一般には、回復力、復元力、適応力、弾力性、危機耐性などと訳されるが、どれもピンとこない場合は、敢えて言葉を補うこともある。

単に、カタカナ表記にしてしまえばそれまでだが、レジリエンスの意味を理解していない読者にとっては、それでは意味不明のままとなってしまう。

このレジリエンスという概念、新しい言葉のようであって、実は昔から日本人に、いや人間に備わっていたものである。単にこれまで、その研究が十分になされていなかっただけのような気がする。

「想定外」のことが起き、ある種のシステム機能が失われたとしても、そこから復旧、回復、そして成長していくのが人間のレジリエンスでもある。

災害や危機に耐えるだけでは、レジリエンスとは呼べない。風雪に耐えることがレジリエンスではない。我慢が回復力の強さを示すものでもない。苦難に耐えた後に、人間は壊れてしまうことが多い。

レジリエンスとは、生きたい、生き抜きたいという意志、命を大切にする心だと思う。

昔、読んだ本の中に、レジリエンスは、「I have」、「I am」、「I can」で構成されると書かれてあった。敢えて訳すまでもなく、わかりやすい説明である。これらをより良く高めることがレジリエンスを強化することに繋がっていくのだろう。求められているのは、レジリエンスを高めるための環境作りである。未来に対して常に前向きに肯定的に生きられるか。

レジリエンスの強い社会を築いていくこと、レジリエンス意識を高く持つことが強く叫ばれる時代へとようやく歩み出しているような、そんなことを敢えて思わせるニュースが増えたような気がする。

※竹の子の写真があったのでなんとなく載せてみた。”竹の子はぐんぐん育って、弾力のある大人の竹となるのだろうな~”

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社員(プロジェクトマネージャ)募集を開始した直後から、多くの問い合わせをいただいている。興味を持っていただけるのは大変ありがたい。

募集のたびに思うのは、選考の難しさ。いやいや、会社側も応募者に選考されていることになる。採用にいたるかどうかは、ある意味「ご縁」なのだろう~。

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