『見える化』

「見える化」という言葉が、以前にも増して流行っている。昨今の世界経済の落ち込みによる企業の業績低迷が影響しているのだろうか。この「見える化」という言葉だが、英語にはピタッとくる単語がない。

一つの英単語で表現せざるを得ないとすれば、Visulaization(可視化)なのだろうが、”Mieruka”として説明を付けた方が正確に意味を伝えられるのかもしれない。何がなんでも1単語で表現したいというのであれば、Transparency(透明性)がいい。つまり、透明性を高めることで問題を見つけ、その問題を誰もが理解できるように明確にしていくことが可能となるからだ。とは言ってみたものの、そもそも日本語として「見える化」の定義が社会全般に認知されているのだろうか。

「見える化」とは、文字どおり”見えないものを見えるようにする”ということなのだが、「見える化」が万能薬のように扱われてはいけない。企業においては、問題を「見える化」さえすれば企業が自動的に強くなるというわけではないはずだ。

「見える化」は、単に手段であり目的であってはならない。問題を「見える化」するだけでは、野次馬を増やすだけの結果を招きかねない。大切なのは、問題を解決していこうとする社員の強い意識である。現場の意識を高めることが企業を強化することに繋がる。堂々巡りのような言い方をすれば、その意識を高める手段の一つが「見える化」となる。極論すれば、意識がない現場で「見える化」に先走ってはならない

IT関連ドキュメントの翻訳をしていると、イノベーション(革新)という言葉を見かけない日はない。技術、概念、仕組み、サービスといったものが業界に革新を起こし続けているのは確かだ。が、イノベーションをもたらすのは、実は社員の意識、現場のパワーだということを忘れてはいないだろうか。

先日、そんな警鐘を鳴らすドキュメントと出会った。企業の管理者層に対する啓蒙資料のようなものだったが、そのドキュメントを作成した企業は、その啓蒙が成功すれば、確実に業績を回復させ、さらに発展し、より多くの人から”選ばれる企業”となっていくだろうと思った。

日々之精進(Days diligence)

ローカライザーとして常に頭に置いている言葉は”信頼”。データの持つ可能性と危険性を日々感じているからだ。

世界のトップ企業のローカライズプロジェクトに関わっていると、時代のトレンドが見えてくる。トレンドのキーワードの一つは「ビッグデータ」。

データ爆発(データの爆発的な増大)へ対応するITインフラの構築、仮想化環境の実現、迅速なディザスタリカバリ、クラウドサービスの提供、モビリティの強化、脅威への備え、ビジネス継続計画の策定、環境対策など、企業は次々と生まれるさまざまな課題への対応や新たな市場の創出へ向けたチャレンジを続けている。そこには、課題をビジネスチャンスへと転換させていく弛まない挑戦が見える。

秒単位で想像を遥かに超える大量のデータが生成され続けているIT社会。モバイル端末の爆発的な普及は、ソーシャルメディア市場を驚異的に拡大させ続けている。企業が提供する無数のネットサービスによって、個人の動向や嗜好までも把握できる詳細な情報の取得と蓄積が進み、市場のトレンドを十分に分析し得る”価値の高い情報”となって次世代の幕開けを待っている。

まさに、新たなビジネスの創出に向けた情報価値が生み出され続けている。IT社会では、その価値をさらに高め、さらに多角的に活用し得る技術の開発も進んでいる。留まることのない流れの波ように、いや、周りのすべてを飲み込み急激に拡大し続ける銀河のように、生みだされた新たな価値はループのように連鎖され、新しい社会トレンドの創出をも予感させている。

予想を超える展開を見せるであろう”ビックデータ時代”の到来で、わたしたちは何をたぐり寄せようとしているのか。日常の風景をも一変させ、さらなる新時代の幕開けをも見通させるデジタルメディアの市場への浸透は、無限の可能性を秘めたビッグデータをさらにビッグへと拡大させている。

無機質なデータの巨大な集まりは、”お客様の顔の見える”有機的な情報、計測不能なほどの高い価値情報へと変貌し、新たなビジネスを生み出そうとしている。もう既に、”ビッグデータ時代”は”ビックデータビジネス時代”へと移行を始めている。

時代の先端をキャッチアップし、お客様のニーズに全力でお応えすべくローカライズ業界のフロントランナーとしてやるべきことは、恐れを忘れず恐れることなく、ひたすらに”日々之精進”だろう。社会への貢献を旨とし”信頼”を胸に。

大切なもの。

先日、迷惑メールボックスに隔離されたファイルを念のためチェックしていたら、海外クライアント企業のドメイン名の付いたメールを見つけた。開いてみると、Thanksとだけ書かれていた。HiともHelloともなく、宛先名も送信者自身の名前さえも書かれていなかった。ただ、Thanksとだけあった。気心の知れた友だちならわかるが…。

差出人のメールアドレスを調べると、そのクライアントの、ある業務の担当者「M」のようだった。丁度、そのクライアントの窓口担当者から依頼され、「M」宛にドキュメントをメール添付で送信した翌日だったので、Thanksという返事らしきメールの趣旨が理解できた。

その差出人とは面識はない。初めてのコンタクトだったので、こちらからは丁寧な文面でメールを送った。が、返事はThanksだけだった。メールに何か殺伐としたものを感じた。それでも、「きっと、Twitterと間違えたのだろう。いや、短いメールにして此方の多忙さを気遣ったのだろう」と思うことにした。

話は飛ぶが、子どものころ牛乳配達のアルバイトをしていた。夜明け前に配達所で木箱に牛乳ビンを詰め、自転車の荷台に段重ねで載せて配達に向かうのだが、子どもの体力では容易ではなかった。1箱に牛乳ビンが確か40本。それが2箱、3箱となると曲芸のようになってくる。運転中もハンドルをしっかり握っていないと、すぐにコケた。横転して、ほとんど割ってしまったこともあった。朝帰りの酔っ払いグループに牛乳を取られそうになり、殴り合いの喧嘩をしたこともあった。日常のように、手や足を擦りむいて怪我をした。痛さは我慢すれば済むが、配達が遅れて牛乳を待っている人に迷惑をかけることが辛かった。

あれは、12月25日のクリスマスの朝だった。ある家の牛乳ビン箱を開け、ビンを入れようとして手がとまった。箱の中に、小さな包みが入っていた。サンタクロースの衣装のような真っ赤な包装紙の上に、白い紙が貼ってあり、こう書かれていた。

牛乳配達屋さんへ
いつもありがとう。
(その家の名前)

包み紙の中には、牛乳のような真っ白な手袋が入っていた。わたしは、牛乳ビンをいれ、その家の人が寝ているであろう方角に深く頭を下げた。翌朝、牛乳ビンと一緒にお礼を書いたノートの切れ端を置き、再度頭を下げた。

(その家の名前)様
ありがとうございました。大切に使います。
牛乳配達屋

言うまでもなく、その後、その家への牛乳配達だけは、決して遅れないように心がけた。届ける牛乳ビンに1点の汚れのないものを選んで。

一言伝えるにも、大切なものがあると思う。Thanksのメールを受け取って、大切なものが失われつつあるような気がした。たとえビジネスでも、ビジネスだからこそ心づかいを忘れないようにしたいと改めて思った。